西城秀樹さん インタビュー後編

2013.02.22

「西城秀樹」氏を偲んで

 

2018年5月18日、一人の偉大なスターが亡くなりました。名前は「西城秀樹」氏、63歳でした。チーム医療推進協議会では二度による脳梗塞を懸命なリハビリにより克服し、見事に歌手として復帰された当時(2013年2月22日)にインタビューとして多くの医療スタッフに支えられた経験を記事として掲載させていただきました。また、2014年3月8日に日本言語聴覚士協会では「脳梗塞からの復帰とリハビリについて」をメインテーマにしたトークイベントに出演していただくなど、わたくしたちチーム医療推進協議会とは深い関係を築いていました。脳梗塞による右半身マヒの後遺症を、懸命なリハビリの継続により克服しつつある中での、今回の訃報は、わたくしたちチーム医療推進協議会の各団体におきましても深い悲しみ包まれているところです。「西城秀樹」氏のご逝去を悼み、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

合 掌


 

 

西城さんが脳梗塞(のうこうそく)を発症したのは、韓国での公演先でした。2003年のことです。歌手にとっては命にも等しい声帯もやられ、引退を覚悟したこともあったそうですが、そこを懸命なリハビリテーションで克服。ところが、こともあろうか8年後(2011年)に脳梗塞が再発してしまい、再びリハビリの毎日という生活を強いられました。インタビュー当日もリハビリをしてきたという西城さん。話題も自ずとリハビリが中心になりました。そこで感じたチーム医療の重要性とは。
(チーム医療推進協議会相談役 小嶋修一)

 

 

リハビリでも活躍するチーム医療

理学療法士(PT)、作業療法士(OT)、言語聴覚士(ST)は、リハビリテーション専門職とよばれるプロフェッショナルです。
特に、リハビリテーションの病院では、より高度で専門的な治療を求められるため、一つの職種ではとうてい太刀打ちできません。西城さんがリハビリを受けている病院では、様々なスタッフが集まり、知恵やアイデアを出し合って、どのような治療やリハビリを進めるかを決めているそうです。それゆえ、「どんなことであっても、不安なこと心配なことわからないことがあったら、医師や看護師でなくても、スタッフの誰にでも聞けるので安心してリハビリに専念できました」と西城さんは言います。
さらに、こんなことまでも聞けるのがチーム医療のいいところではないでしょうか。
「きれいに歩こうとしても体が反り返ってしまい、きれいに歩けない。(職業柄ということもあり)どうやったら、きれいに歩けますか」と相談したことがあります。

するとすぐに、チームのスタッフから、様々なアドバイスをもらい、大いに役立ったそうです。
「足を高く上げ、少しでも前に出してみてください」足を下ろす時は踵からおろすように「ゆっくりでいいのです。歩き方は回数を重ねればよくなるというものではありません」「疲れたら休んでいいのです。焦りが一番の禁物です」

チーム医療は“アメとムチ”だという西城さんの発言も傾聴に値します。
「リハビリ治療で、(大学病院の)教授は『どうしてできないの!まだまだやれるでしょ!』と厳しく指導に当たりました。あえて嫌われるようにしていたのかもしれません。ところが現場の(理学療法士や言語聴覚士らの)人は、『いやいや、そこまで、無理にやらなくてもいいですよ』『ゆっくりやっていければいいのですよ』と優しく励ましてくれる。話し方はそれぞれ違うのですが、そこに共通しているのは、スタッフみんなが私のことを思ってくれていることです」患者一人のためにこれだけ多くの職種がかかわってくれているのですね。

まさに、チーム医療の真髄を言い当てている表現ではないでしょうか。
様々な医療スタッフの中心的な存在は医者であると考えている人は、まだまだ少なくないと思いますが、西城さんはきっぱりと違うと言っています。日本でも最近になって、ようやく、医療の中心は患者で、医師ら医療スタッフはその患者のために最善を尽くすというチーム医療の考え方が広まっています。患者の家族も治療法決定に加わり、闘病のあり方に大きくかかわっているので、家族など支えてくれる人たちも、チーム医療のメンバーだとされています。

西城さんは、「チームの中心は患者ひとりではなく家族もいる」という考え方を持っています。西城さんが入院していた病院では、家族も呼ばれて、患者と一緒に闘病するというシステムがとられていました。退院後も、家族が共に闘病してくれたおかげで、辛いリハビリにも耐えられたそうです。

リハビリをおしゃれに

西城さんの話は尽きません。次々と展開していきました。
「リハビリに使う器具など(のリハビリ関連グッズ)を、もっとおしゃれなものにしたいというのが、私の夢です。おしゃれになれば、リハビリも苦にはならなくなるかもしれない。若い女性がもっとおしゃれな姿で臨めれば、ずっと楽しくリハビリに取り組めるでしょうし、男性だって格好いい姿でやればうれしくなります」
さらに、高齢者は年代なりのセンスがあるわけで、それぞれにあったものを作っていくことが大切という。
「リハビリの器具や道具をもっとカラフルで、ファッショナブルであってもいいのではないでしょうか。病人だからおしゃれはダメという風潮を変えていきたいですね」
病人だから、闘病をより楽しくする工夫は絶対に必要です。
そればかりはないそうです。
「海外に行けば、ごく普通のショッピングセンターにリハビリ用品が揃えられています」
今後、西城さんは日本の遅れたリハビリ環境を整備することに、大きく貢献したいという強い想いがあるのだそうです。

7・5の生き方

「病気になったから気づいたこともたくさんあります」

紹介してくれたエピソードは、病気の人だけでなく健康な人にも当てはまる、素敵な人生訓でした。
「若い頃は、何かをするなら100%燃焼したい!と考えていました。でも今は、(10段階で言えば)10ではなくて、7・5くらいでいいと考えています。たとえば、コップいっぱいに入った水を10とすれば、7・5の水がちょうどいいのです。2・5もの余裕がある。目いっぱいコップに水を入れると、こぼれないように気を遣ってしまうでしょう。これではダメ。8でも多いが、7では少ない。そこで7・5なのです」
リハビリ中をはじめたばかりの人に「これまでは10のことができていました。しかし、それが今、なぜできないのかと思い悩むのではなく、できることをまずやっていきましょう。10では無理、8でも無理、でも7では物足りないですよね。じゃあ7・5からはじめましょう!」と。「7・5のつもりでやってきたことが、やがて10どころか20にもなるのに気づくはずです」と目を輝かせて、話してくれました。
この話は、神経内科の医師から教えてもらったことでした。
「この言葉は、正直言って、人生で最大のショックでしたね。とにかくいつも100%全力を尽くすのが私のモットーでしたからと西城さんは振り返ります。

メディカルスタッフへのメッセージ

このインタビューは、一般の方々にチーム医療について知って頂くことが目的です。
でも最後に、メディカルスタッフへのメッセージもいただきました。
「みなさんに、フランス映画『最強のふたり』を是非、ご覧になっていただきたい。妻に『一緒に観に行きましょうよ』とすすめられて観たのですが、患者にどう接するか・・・、医療者の心の持ち方について、深く考えさせられた作品です」

この映画は、首から下が麻痺した大富豪とその彼を介護するスラムの黒人青年という、ふたりの奇跡の友情を描いた物語で、実話に基づくものです。
「リハビリを受ける身として共感することがたくさんありました。そして、介護する男性に、『心があったこと』を発見しました」
このようなシーンがありました。患者は麻痺があるので足の感覚がない。ある日、介護している男性がその足に熱いヤカンを乗せてみます。
「介護している男性が、そのときの大富豪の反応をどのように受け止めて、その後、どんなふうに患者と接したのか……。是非観て頂き、考えてほしいですね」

西城さんは、「心を持った、血の通ったメディカルスタッフであってほしい」と繰り返し強調しました。
「心をもって接するというのは、言うのは簡単かもしれないけど、実行するのは難しい。でも患者はそれを一番望んでいるし、それが何よりもうれしいのです」
そのためには、チーム医療を展開する中での、患者との十分なコミュニケーションが大切だとしたうえで、西城さんは次のように付け加えました。
「現場で働いている人たちは、患者のことをよく知っていました。しかし、(大学医学部や病院の)トップの人たちは、患者の気持ちをどのくらい理解しているのだろうかと思うことが、しばしばありました。トップも自分の目でもっと現場を見て、患者と対話して何を望んでいるのかを、患者視線で考えてもらいたいですね。トップが現場を知らなければ(臨床の現場は)良くなりません。

医療界のみならず、国・行政にもかみしめてもらいたい言葉でした。

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プロフィール
歌手・西城 秀樹

1955年4月13日生まれ 広島県出身
1972年「恋する季節」でデビュー。73年5枚目のシングル「情熱の嵐」発売ヒット・チャート初のベストテン入り、次作「ちぎれた愛」も4週連続1位。 第15回日本レコード大賞歌唱賞初受賞 (以降、第16.18回)。79年28枚目のシングル「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」が、ミリオンセラーに輝くヒット。日本テレビ音楽祭グランプリ、日本歌謡大賞 大賞、FNS音楽祭 グランプリ、日本レコード大賞 金賞ほかを受賞。04年『あきらめない ~脳梗塞からの挑戦~』(二見書房より発売)。05年50歳を記念して初のライブハウスでのライブ「50th Anniversary Second Birthday!!」。07年IFPI香港(香港のレコード協会にあたる)設立40周年記念のイベントに招かれ、ヒット曲「傷だらけのローラ」「めぐり 逢い」を歌唱し、往年のファン3600人から熱烈な声援を受ける。12年「ありのままに『三度目の人生』を生きる」(廣済堂出版)を発売。11年末に脳梗 塞再発という事態に見舞われ、復帰を目指しリハビリを続ける葛藤の日々の中で自分を見つめ直した一冊となっている。